富国強兵の国と言う幽霊(お化け)

☆この「富国強兵」と言う言葉を聞かれて時代錯誤と思われるかもしれないません。

 しかし、現在、至るところで起きている目には見えない現象(自殺など)を顕していることばのように観じます。

 その昔、国民学校で、国民の3つの義務はなんですかという質問に;

 〇納税の義務
 〇兵役の義務(*今はほぼ廃止)
 〇教育を受ける義務(親の義務ではなく国民としての義務)

 と答えて褒められていたそうです。

 子どもたちは自立・自律して生きるための教育を権利として受けるのではなく、義務として、

 戦争を推し進める国家に役立つ大人になるための教育を押しつけられていました。*今は経済戦争と言う名に置き換えられる

 日本では今、このかつての教育の状況が、過去形ではなく、現在進行形で進められています。

 
 国家の仕合わせは、個人の幸せの集合かもしれません。本来は。

 しかし、国家が国民(大衆)の幸せを考える以前に、自分たち(国家中枢、官僚)の利益や安定を先に構築し、

 そのための教育やその仕組みを敷いているのことは、日々のニュースからも明白。

 なぜなら、自殺する子どもたち、若い人たち、社会人やお年寄りの自殺がそれを伝えているからです。

 本来、キョウイクは個人を豊かに・幸せにするたあるはずのものが、「教育」という言葉を使うだけで、自動的にその枠(政府に依る)に組み込まれてしまうのです。

 つまり、競争原理の上に成り立っている仕組み(点数や偏差値に依るシステム)にです。

 しかし、今、教育の根底からの変換(変化)が、この日本で起きています。

 名称は、さまざまですが、共通することは学ぶことをヨロコビとしている学び舎です。学びの主人公が、国の学校システムや政策ではなく、

 自らが学びの主体者として、自分を生きている場と言えます。

 自分を最大限発揮できる場です。自分を表現して、それを地域や社会に循環(還元)していくことのできる本来の公(おおやけ)の学び場です。

 その兆候は、確実に姿を現しています。それを選択する家族もマスマス増えています。

 2018は、新しい流れ(ネットワーク)がより活性化されていくようです。

 新しい芽には、可能な限り力を注いでいきたいとシンに思います。

  ウータン

参考:今回の文面を記そうと思ったキッカケになった冊子:月間むすぶ(ロシナンテ社)No.562 「わたしたちは福島を忘れない」

 

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