◆それは、自分自身を成長させるための本質的なものです。
「学校」と言うものでは括れないかもしれません。「教育」と言う言葉でも表現出来ないかもしれません。
◆今、この地球と言う生命の庭に、新しい芽がどんどん育っているように観じています。
◆おそらく、どのような教育も将来仕事に就き、自分の生活を豊かにすることを目指しているのではないかと思います。
※自分の夢の実現もそのうちのひとつでしょう。
◆デモクラティック・スクールと言うのもそれに属するかもしれません。
◆ボクは、どのような教育や学校であれ、『シンの自由」と言うものが存在していなければ、どこかでやらされている(あやつられている)空気を感じます。
◆そして、今日は終戦記念日。
誰もが「人を殺す事を良し」とはしないでしょう。
しかし戦争ではそれが違うのです。なぜでしょうか?!
◆戦時中、教育の名の下、それは達成されたのです。
いかなる場合でも、学びの主体者は「自分」です。
自由になれば自分自身がよーく観得て来ます。
人間としての正しい判断が内から湧いてくるのです。
何をする事が「人間」なのかも!
誰に教わる事もなくです。自然に芽生えてくるものです。
教育と呼ばない代わりに、人間なら誰にでも備わっている、「自然の営み(意志)」からそれは引き起こされています。
つまり自由な時間を生きれば、それで十分、自分になって行くと思います。
まちろん、様々な学び(レッスン)もあるでしょう。
しかしそれをシンの自分が望んでいるのです。それをシンの自分は知っているのです。
うーたん@!@