学校という名の「檻」

☆長い長い間、いじめは続けられてきました。

 それを、放置していた教育現場の人々。

 しかもそれを職業として生計を立てている人間。

 この世界に生まれた貴重なかけがえのない命を、自らが絶ってしまうその無念さ。

 命は、教育制度や教育者のものではなく、本人自身のもの。

 誰かにコントロールされたり、指図されたりするものではない。

 いじめを解決できる方法は、たったヒトツ。

 学校の仕組みを開放すること。

 登校選択、登校を自由化すること。

 檻の中では、弱肉強食の作用が、常に起きています。

 強いものが、弱いものを食べていく。

 これは本来の教育とはまったく逆の現象です。

 つまり、教育システム自身が、それを生み出しているのです。

 この仕組みを開放しない限り、ずっといじめはつづいていくことになると思います。

 いじめだけではなく、様々な教育に関わる問題(課題)もです。

 それには、命の尊さと、学びと成長の本質に気づいている親達の登場が不可欠です。

 成績や点数に一喜一憂している親ではなく、

 真の学びと成長、そして社会での正しい役割をカタチにしていく必要があると強く感じる親たちです。

 国やその機関(文部科学省、教育委員会など)に委ねて行く時代は、もう終わっています。

 自分たちの教育を、自分たちに取り戻す、今、正に、その時が到来しているのです。

 原発の問題も、経済の問題も、社会保障や福祉の問題も、すべては源に起因しています。

 その源とは、我々自身の健全なる意識です。

 命を基本とした、人間として、ごく当たり前の自然な気持ちです。

 新生児が誕生した時、何を願われたでしょうか。

 成績や点数、出世でしょうか。

 おそらく、伸び伸び元気に育ってほしい。

 幸せな人生であってほしい。そう願われたのではないでしょうか。

 そう願われた子が、自分で自分の命を絶ち、この世を去ってしまう。

 悔やんでも悔やみきれないことでしょう。

 もうそのような流れを断ち切らなくてはならない。

 学校を変えようとしても大変な作業です。

 まず、檻から出てしまうことが、必要です。

 それには、決心と行動がいると思います。

 その檻を開けることのできる鍵は、各自が持っていると知ることです。

 誰かが、いつか開けてくれる事は有り得えません。

 自ら一歩を踏み出し、どうどうと、新しい自分の世界に飛び込んでいくこと。

 それが最も、教育が正常化していく方法だと観じます。

 争ったり戦ったりすることなく、シンの自分を通していくだけです。

 その瞬間、檻は自分の目の前から消えていると思います。

 家庭の中、社会の至る所が学びの場。地球中が人生の遊び場。

 自分の大切な時間を、自由に自分の貴重な人生のために活用出来ます。

 本当の生きた学びの始まりです。

  うーたん@0@

 

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