林竹二先生への遺言 Ⅱ

☆林先生が、命を削ってでも書き残された著作集。その中には膨大な数の生きた情報が発振されています。

ここでは特に「学校」「教育」を中心に書き記したいと思います。

今さらとは思いますが、今のような学校における教育の空洞化がすすんだのは、当然、その骨格になっている仕組みに話が及ぶと思います。

林先生は、学校(教室)の中で、本来の教育は可能だと考えておられました。

しかし、実際に授業を通して、学校現場で実現するのは、不可能だと言う考えに至られる訳です。

教育を人民の手から完全に切り離してしまった行政と文部省(現・文部科学省)。その責任はかなり重いでしょう。

つまり今の教育界で引き起こされている様々な事件の主犯と言っても過言ではないと断言できます。

もちろん、今は親たちの意識にも少なからず影響を与えてしまっています。

それは学ぶ喜び以前に、評価(点数)、偏差値といった、本来の学びからは到底かけ離れたものです。

子どもたちが喜んで学び育っていくプロセスを数値に置き換え、評価しているのです。

当然、問題は起きて来ます。人間本来備わっていないものを植え付けるわけですから。

それは不自然なものだと言えます。

子どもと言う自然の庭に、勝手に誰かが科学的な物質を持ち込んだようなものです。

当然、庭である子どもは抵抗しますし、拒否します。

しかしそれが「問題」だと言われてしまうのです。将来、困りますよ!と。

安定した作物が収穫出来ないですよと。

しかし実際は逆です。生気のない状態の庭では何も健全なのもは取れません。

そこで取れたものが心身に栄養を与えるからです。

我々はもう一度、その庭のことを深く考える必要があると思います。

林先生がおっしゃるように、その庭には萎縮した作物しか育たなくなっているのです。

教育はその環境を創っていくものでもあると思います。

それを今から共に創っていければと思います。

  うーたん@4@

下記は林先生の著書(教育に対する国の責任ということ)からの抜粋です;

@教育を甦らせるためには、教育が産業の奴僕であることをやめて、教育を自分の足で立たせること

@そのためには「学校」を行政(お役所)の下請けから解放すること!

@文部科学省が教育を独占することをやめて、人民が教育においても主権者として実を備えること!

@「学校」が文部科学省のはめる枠から自由になって、自由な試みや、追求をはじめる!

@教育の「大政」を人民に返上する!

@そうなると今度は、人民が教育において主権者としてその資格の有無を問われる正念場に立たされることになる!

@人民が直接教育に責任を負う力を備えるまでは、今の教育に再生はない!

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