ベンジャミン来日・報告 (その1)

☆今回の彼の来日は、間違いなく、新しい世界への道しるべとなったようです。

 特に親御さんが今まで持ち続けておられた意識(思考)に、新鮮な刺激をお贈りすることができました。

 各地での、参加された方々を拝見し、その表情や言葉から受け取ることが出来ました。

 本当に実り多い、豊かな、そして濃い旅となりましたこと、支えて下さった皆様に、あらためて、ここに『カンシャ』致します。

☆下記に、参加された方の感想を載せさせていただきました。*九州(クリキンディ・カフェ)で参加された方より!

 きっとベンさんの周りでも
いろんな偶然が必然のように重なり
サドベリースクールを卒業して
今回はじめて外国旅行をし
この2週間で日本各地で自分の体験を話す
21歳になるベンさんの行動そのものが
サドベリースクールの学びで得たこと
そのものを体現しているんだろうなぁと思いました。

そのなかでも
特に印象的だったことは
公立高校からサドベリースクールに転校して
ベンさんが実感した話でした。

「サドベリースクールには
(公立高校にはなかった)信頼関係があった。
どの人もみんな正直で誠実だった。
だから自分も対人関係にストレスを感じず
心をひらけた。」と。

置きっぱなしにしたノートが盗まれることもなければ
仮面をかぶって自分を偽る必要もない
そこが公立高校との大きな違いだったと。

どうやったら公立の学校も社会も
サドベリースクールのように信頼関係を築けるのか
その仕組みがいろんな世界に応用されたらいいなぁと思いました。

アテンドで来られていた児島一裕さんからは
創設者のダニエル・グリーンバーグさんのことばも紹介されて
とても興味深かったです。

その話を聴いて
私はこれまでの自分の生き方を肯定されたようでした。

サドベリースクールの子は
本当によく遊ぶそうで
その遊びもよくある遊びでなく
ない遊びを創りあげて遊んでいるとのこと。
「最初があって、終わりがどうなるか分からないのが遊び。
人生もそうでしょう。」とダニエルが言っていたとのことでした。

(子どもの暮らしというのは)全部遊びで、
その日一日をどんなふうに愉しんでいるか
それが重要だと。

そのとおりだなぁと
母が語っていた
自分の幼い日のことを
思い出していました。

保育園が4時に終わって
「遊ぶ時間がない!遊ぶ時間がない!」と
走って自宅に帰り、サイレンがなる5時までの間
(当時、住んでいた漁村では

正午と5時にサイレンがなっていました。)
急いで遊びにいく私に母が
「保育園で(絵を描いたりお遊戯したり)
遊んでるじゃない!」というと
「あんなの、遊びじゃない!」と怒って
遊びに出かけたそうです。

何をしたか、何ができるかというコンテンツじゃなくて
どうやってそれを自分がすることになったかというコンテクストが重要だと
保育園児も(きっと生まれたての子どもも胎児も)
すでに気づいているということだと思うのです。

それをちゃんとリスペクトしよう。
まだことばにならない子どものそれを
尊重してあげられるということは
きっと
まだことばにならない自分自身の想いや感覚を
尊重してあげられるということ。
さらには
永遠にことばにならないかもしれないけれど
偉大なことや素晴らしい体験を
尊重してあげられるということなんだろうと思いました。

自分の感覚を感じて
それに合ったものを
自分でクリエイトする。
はじめがあって、終わりがどうなるか分からない。
だからわくわくする。

   (後略)

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この文面からも、ひしひしとその刺激が伝わってきます。

率直な感想、本当にありがとうございました。

   うーたん@3@

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