◆今思えば、ボクの人生の最初から今まで、すべてが遊びを土台にしていたように思います。
小学校の時も、学校へは遊びに行っていました。机の中はその道具で一杯。ぎっしり詰まっていました。
今思えば信じられません。どうしてそれが出来たのか!
放課後もその延長でした。みんなで様々な遊びを考え、暗くなるまでやっていました。
本気で遊んでいました。ケガはもちろん、時にはケンカもありました。
◆ある日、学校に行けなくなり(登校拒否と呼ばれていました)、明石の施設に入所。そこでも遊びの毎日、連夜。
なぜ学校に行かないのか・・・ありとあらゆる検査を受けましたが、理解不能でした。
その後、大阪の施設(情緒障害短期治療施設)に移り、約2年間そこで暮らしました。
なんとそこでボクは、甦りました。
もちろん、イヤな事、いじめはありました。
しかし、ある日光が差し始めたのです。それはボクが遊びを提供したからでした。
遊びに救われたと言っても過言ではないでしょう。
ボクの人生は遊びが中心。遊びが主人公だったようです。
◆アメリカに渡ってからも、職場、生活の中で、常に遊びを提供していました。
人を歓ばせたり、驚かせたり、そして自分も楽しむのが気に入っていました。
今思えば、本当に遊びは大事ですね。
多くの人は、遊びと学びや仕事を分けています。まるで恋人同士を引き離しているかのようです。
これはボクの持論ですが、すべては一体化しているように観じます。
時には、遊びは潤滑油的な役割だったり、遊びが中心だったりします。
遊びが在ると、やっている事がすべて楽しくスムーズに流れて行きます。
ボクにとって、遊びはエネルギー源そのもの。
そして、「遊び」は人生ゲームのエキスのようです。
人生が遊び場なのかもしれません。
人によって遊びのイメージが違う事でしょう。
人によっては、「遊び」という響きだけで、不真面目と思われるかもしれませんね。
『ボクの人生では』、この遊びはすべての基礎(土台)になっています。
自然との戯れ、動物とのコミュニケーション、植物、鉱物との触れ合い・・・
遊びにもいろんな次元が有ります。
自然から離れれば、おそらく人間という種は、枯れていくような気がしています。
ボクにとっては、遊びはどれもが人生を豊かにしてくれています。
遊びは内なる世界からのギフト(パイプ役)だと思います。時に、アイディアやヒラメキを与えてくれたりします。
そして、地球は遊び場!人生も遊び場!
ただし自分の責任で!
周りとの関係(バランス)を取りながら!
みんな、ある意味、惑星の子ども(プラネタリィ・チャイルド)ですね。
シンの遊びには、殺し合い、奪い合いは含まれません。
これから、新しい人生ゲーム(みんながしあわせに成るゲーム)を共同創造していきたいものです。
うーたん@4@